produced by
KAWACHI TITO
all song lyrics, composed, arrenged by
KUNIO SUMA
< PLAYERS >
< GUEST PLAYERS >
キングレコード音羽スタジオ内で校正段階のジャケットを見た時、紆余曲折を経てようやく生み出された事に対してちょっと感動。高見氏のデザインしたLogoやジャケットのシンプルな平面構成も大変気に入ったし、北村・山崎両氏のライナーノーツにもえらく感激したものだった。
実際のレコーディング時、「警告」の中間パーカッションの部分は地元スタジオで録音したオープンリールを差し込んだ形になったが、実は今でもその部分の処理が気持ちの上で少々引っかかっている。
それは、イーノのLP「ディスクリート・ミュージック」の裏ジャケに載っていたダイヤグラム(フリッパートロニクスの原型)を参考に独自に組み立てたデバイスがあり、ステージで何度か使用していてかなりくたびれた状態だった。
このデバイスをギターではなくパーカッションに応用しようとマイク数本を立てたミキサーから信号を送ったが、録音レベルが思うように上がらず四苦八苦し結局断念。妥協点を探して録音したという経緯があったからだ。
本当ならそれ単体でも通用するような、起承転結を持った素材を準備する予定だったのだが...。
ここでLPレコードに同封された故・北村昌士氏のライナーノーツの前半部分を引用しておきます。82年当時の音楽シーンにおける美狂乱の位置づけを的確に言い表した文章として、私は高く共感しています。
(長文注意)
ノヴェラ、アインソフ、ダダと、日本のプログレッシヴなロックシーンの興味深いアーティストたちに精力的な活躍の道を開いて来たネクサス・レーベルから、またひとつ新しいグループが登場する。かねてから伝説のようにその名のみが知れ渡り、恐るべき演奏力と衝撃的なコンプレクシャス・サウンドによって日本のロック・シーンに孤高の位置を占めていた<美狂乱>が、とうとうネクサスを通じてレコード・デビューを果たすことになったのだ。
端的にいって美狂乱の演奏はとにかく凄い。火の出るような、とでもいうのだろうか、ライブ・ステージにおける彼らの白熱球体のような複合アンサンブルは、一瞬にして時間を狂わせ空間を変形させる。聞く者すべてをマジカルな混乱に陥れるのだ。
それは圧縮され、発熱し、近づく者すべてを溶解してしまうような、ちょうどリシャール・ピナスがキング・クリムゾンのサウンドを評していった「金属的な時間」という言葉にも比定されるであろう、あの創造的な音楽世界を思い浮かべてくれれば良い。
ここでまず最初に明らかにしておくと、美狂乱のリーダーでギタリストである須磨邦雄の音楽的な師はただ一人、キング・クリムゾンのリーダー、ロバート・フリップに尽きる。
だがそれは影響を受けましたとか尊敬していますとか、そういう生易しい次元でではない。須磨は、キング・クリムゾンの音楽になべての創造の秘技を発見し、ロバート・フリップのギターから音楽の深遠な本質と厳然たる摂理を学び取り、自己のアイデンティティーをあまねく融合させ、人生の集中点と精神的拠点を獲得したのだ。
美狂乱の音楽を聴けば誰でもがキング・クリムゾンを直感的に連想するだろう。けれども私が彼らの音楽を高く評価するのは、決してそんな皮相な類似性や代理性からではない。ましてや日本のプログレ復活だとか、日本のクリムゾンだとか、そういうありきたりのもの言いがいかに意味がないか、いわんや馬鹿げているかは須磨も私もいやというほどよく知っている。
美狂乱は、多分須磨だけが知っているであろうその長い活動史を通じて、一度だってそんな空疎な言動の中に希望を見いだしたことはなかったし、恩恵をこうむったこともなかったはずだ。
輸入盤店の店先をうろつくばかりが関の山の何一つ生み出すことのできなかった<プログレ・ファン>なんて糞くらえである。真にプログレッシヴな精神はとっくに形を変えて時代を生き抜き状況をリアルに闘っている。
美狂乱が、決して恵まれていたとはいえない自己的状況の中で、こうして中途で挫折することなくグループを維持し、音楽性を研磨し続けることができたのは、皮肉なことだがこのように不幸な日本の音楽シーンに対し、いっさいの馬鹿げた空想を持ち込まなかった由にである。
日本におけるプログレッシヴの解釈がどうだとか気難しそうにして、知りもしない芸術用語をダシに猿真似の駄文を書いている馬鹿がいると思えば、目もあてられないようなマスターベーション音楽をやりながら状況がいいだの悪いだのと見当違いのことを言って何かしたような気分になっている馬鹿もいる。こういういつの時代にも山ほど現れる馬鹿どもと、須磨邦雄の音楽に対する厳しい態度、あらゆる現実的な困難を乗り越えてここまで歩んできた精神とは、根本的に何の関係も類似もないものと断言する。そして音楽家として、何ものにも惑わされずに一つのことを徹底的に追及することの貴さの中に自己を対置させた須磨を、私はとても幸福なことだと切に思う。
状況とか時代を云々する以前の段階として、人は誰でもまず自己の弱さ、ずるさと対決してそれを克服しなくてはならない。
そうしなければ状況などという途方もない怪物と闘うことなど最初から無理なことだし、行動は自意識や感情に束縛されるばかりで、真に普遍的な領域に辿り着くことなど永久にあり得ないからだ。
私はこれまで多くの希望に満ちた創造的な何かが、起こってはつまずき、傷つき、挫折し、むなしく敗退していく現場に何度も立ち会い、これをまのあたりにして感じたのは、敗北の責任がいつでも敗北者の側にのみあったということだ。日本だからだとか、時代に不運だったなんていうのは戯言だ。
美狂乱のように、須磨邦雄のように、長い時間をかけて果てることのない無償性とわたりあい否定性を乗り越えてきた者だけが状況に耐え、時代を超えて、正当に未来をつくりかえるのだと私は思っているし信じている。
自己の内部に不断の創造の炎を発見し、これに魅せられた者にとって、周囲に群がる馬鹿どものこじつけや時の流れなど無に等しい。形式やスタイルが今風かどうかなどさらにどうでもよいことだ。
そういう余分なもの一切を須磨は決して一歩も寄せ付けず、いわんや拠りどころとするような卑小な真似などこれをことごとく断ち切って音楽と対峙してきたのであるし、これからもそうしてゆくのだろう。私はただそれがどういう形をとるかと心配りながら、ずっとこれを見届けてゆくだけだ。
’82年9月 北村昌士(フールズ・メイト)
*美狂乱1stアルバムライナーノーツ前半より